ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い/Dir トッド・フィリップス

 
自身の結婚式を2日後に控えたダグは、独身生活最後に羽目を外そうと、親友のフィル、スチュアート、そして婚約者の弟アランと共にラスベガスへ向かった。翌日、ひどいニ日酔とともに目を覚ますと、ぐちゃぐちゃに荒れた高級ホテルの部屋の中には、なぜか虎と、見知らぬ赤ちゃんが。そして、肝心のダグの姿がどこにもない……。記憶を失った間、いったい何が起こったのか?果たして3人は、ダグを見つけて結婚式までに帰れるのか?
 

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アメリカで大ヒットしたものの、有名俳優の出ていないアメリカン・コメディということもあり、ビデオスルーされる予定だったのだが、公開を熱心に望むファンの署名活動もあって、なんとか上映が決定したという特殊な映画。
 
もうなんでだったか忘れたけれど、これが上映されていた頃はちょっと気が塞いでいて、ただ何も考えずに、軽い気持ちになりたいということで観に行ったら、まさにそういう時にうってつけの映画だった。
 
最初から最後まで、とにかく下品でくだらなくておかしくて、なかなか映画館で声を出す習慣のない日本でも、ところどころ客席が沸いていたのが印象に残っている。そういえばこんなにも、気取らずに、意味だとかなんだとか何も考えずに笑えるエンターテインメントって、日本では意外と少ない気がする。
  
ただ、笑いだけでなく、失われた記憶が徐々に明らかになっていくミステリー仕立ての構成もしっかりしていて、次から次へと意外な要素出現させ、飽きさせない工夫は見事。エンドロールに至るまで、しっかり手が込んでいる。
 
見終わった後、ばかだなあと思いながらも、
一回くらい、彼らのようにありえないほど羽目を外してみたいなんて思って、
ちょっとうらやましくなった。
 
あまりこの映画を褒めると自分の品位が疑われそうだが、
隣に座っていた綺麗なお姉さんもおかしそうに笑っていたから、
まあいいか。
 

ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い Blu-ray & DVDセット(初回限定生産)

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新しい1年の始まりの日、君が心安らかでありますように。

2010年を振り返ろうと思っていたら、
いつの間にか年が明けていた訳で。
働き始めてから毎回のように、大晦日や元日を実家ではなく
会社で過ごしているけれど、それはそれでしょうがないと思える。

こんな特別なときにも、どこかで働いている誰かがいるこそ
守られる1日もあるのだから。

年が明けたばかりの真夜中のオフィス街から
当たり前のようにタクシーで帰れることも、
ふらりと寄ったコンビニで、食料を買うことができることも、
帰った後なんとなくテレビをつけたら番組が放送されていることも、
空港でお土産を買って、2時間も飛行機に乗れば実家に帰れることも。

そんな、特別な1日を動かしているたくさんの人たちがいて、
その一方で、家族集まって静かなお正月を迎える家がある。
私自身が、そういう世界の、ごくごく一部で、
その延長にはきっと、自分にとって大切な人たちもいて、
たとえ直接的に手を差し伸べることができないのだとしても、
きっとどこかで繋がっている。

会社に勤めてからというもの、いろんなことが起きて
たくさんの人に出会ったけれど、自分自身が変わったと言えることは
あまりない気がする。物事の感じ方も、考え方も、行動も。

けれど、知っていたつもりのことでも、こんな風に、
働くことでより感じられるようになったことは案外多い。

例えば、私にとってどんなに必要ないと思えることでも、
他の誰かにとってはそうではないということ。
私がつまらないと思っても、他のたくさんの人にとっては、
もしかしたら楽しいことや大切なことだったりするということ。

そういうものを、簡単に否定したくはないし、
ちゃんと価値を認めていきたい。

そんな多種多様な世界を受け容れていければ、
もっと優しくなれて、
今はまだ、辛いことや悲しいことも
いつか全て許せるようになるだろうか。


2011年1月1日
東京と福岡を結ぶ空の上にて。

(アップロードするのは、地上に着いてからだけれども)

エグザム/Dir スチュアート・ヘイゼルダイン

自分にとってはついこの前のことのようだけれど、この映画を観てからいつの間にか4ヶ月も経とうとしている……。年内に観た映画の感想を出来るだけ書き留めておこうということで、まずは「エグザム」から。気が向けば、「ハングオーバー」や「リミット」についても書こうかなと。

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合格者には生涯1億円の年俸が約束されるという、破格の条件が提示された就職試験。数多くの志願者たちの中から選ばれた、年齢もバックグラウンドも全く異なる男女8名が、たった1つの採用枠を勝ち取るため、最終試験の会場へ集結する。しかし、そこで彼らに与えられたのは、白紙の問題用紙と、3つのルールだけ。1. 試験監督、及び警備員に話しかけると失格。2. 自分の試験用紙を損なうと失格。3. 退室を選ぶと失格。果たして、彼らが課せられた問題とは?誰が、制限時間内に、たった1つの答えに辿り着くことができるのか――?

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あらすじから察せられる通り、1つの部屋の中だけで物語が完結するワンシチュエーション・ムービー。そこにあるのは、問題用紙、筆記用具、カウントダウンタイマーの他、わずかな部屋の備品のみ。それらと人々の会話だけで、物語は進行していく。最初は無だった彼らの関係性が、徐々に変化し、それに応じて室内の様相も変わってくる。

こういう特殊な条件下における映画として、「CUBE」や「es」、「SAW」を思い浮かべる人は少なくないと思う。けれど、この映画は、それらとは少し趣向が違う気がする。そこで起きる「現象」よりも、ストーリーを進行する秀逸な「過程」を楽しむ映画だと思うからだ。80分という制限時間の中で、どこでどのようにアクションを起こし、隠されたバックグラウンドを明らかにし、関係性を構築しまた破壊するのか。その演出を最後まで飽きずに観られた時点で、この手の映画としては十分成功しているのではないかと思う。

ただ、そこに至る過程が楽しめただけに、自然と期待の集まるラストには、肩透かしをくらった感はある。恐らくこの結末は、理解はできても、誰もが納得できるシンプルな解答ではないからだ。

何度も観たくなるような傑作ではないし、いろんな粗を探せばきりがないけれど、
私はこの野心的な映画を評価する。

限られた条件の中から、何か新しいものを作りだそうともがく人にとっては、
何かしらのヒントになるのでは。

エグザム [DVD]

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第9地区/Dir ニール・ブロムカンプ

南アフリカ共和国上空に飛来した巨大宇宙船。しかし、乗船していたエイリアンたちは、地球を侵略するどころか、弱りきっていた……。難民として彼らが住み着くことになったヨハネスブルクの「第9地区」は、地元ギャングによる違法売買が横行する不潔なスラム街へと成り果てていく。彼らの管理事業を委託された民間企業MNU社は、エイリアンの第10地区への強制移住を決定。その責任者に任命された主人公ヴィカスは、計画遂行の過程で、謎のウィルスに感染してしまい、そのことによって、人類、エイリアン、スラムギャング間の激しい戦いに巻き込まれていく……。

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見事なまでにB級で、最初から最後までダーティ。
けれど、だからこそいい。そんな映画。

古今東西、幾千もの映画で、宇宙人ないしエイリアンは、人の存在を脅かすものとして描かれてきた。けれどこの映画の中のエイリアンは、まるでエビに突然変異が起きたかのような、グロテスクで簡単に人を噛み殺せそうな姿をしていながら、支配され、差別され虐げられ、好物の猫缶を食べるためにギャングと割に合わない取引してしまうような「人間くささ」まで持ち合わせている。

けれど、いまだ、こんな小さな星のわずかな人種間で争いを止めることのできない私たちにとっては、こっちこそがまさに、未来に起こり得る宇宙人との共存の形かもしれないと思わされる。

また、主人公ヴィカスが、かっこよくエイリアン討伐に行くヒーローなんかではなくて、とことん普通なおじさんであるところもいい。会社から大きなプロジェクトを任されてはりきっちゃうところとか、うっかりエイリアンに感情移入しちゃうところとか、奥さんを普通に愛しているところだとか。

そんな中、差別批判や社会風刺やがところどころに見え隠れするけれど、あくまでそれは隠し味的なスパイスであって、B級映画の作法を守り、作品の世界の中に自然に染み込ませているところは、監督のバランス感覚のすばらしさなのかなと感じた。

笑いあり、ハートウォーミングあり、ど派手な戦闘あり、エイリアンあり、ロボットありで、お腹いっぱいにさせてくれた映画。

なんとなく、「第9地区」というより、原題の"District 9"という響きの方が、かっこいい。


第9地区 Blu-ray&DVDセット(初回限定生産)

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私がいつか知っていた君の「君らしい」部分は、今はどのくらい残っているのだろう

夏の休暇は恐らく秋にずれ込みそうだということもあり、
人は多く航空券も高かったけれど、ゴールデンウィークは実家に帰って、
たった数日ながらも心ゆくまでゆっくり過ごした。
普段はなかなか逃れられない仕事のことも、極力忘れて。

いつも家に帰る度に、東京での、まるで夢のような現実感のない日常に
果たして再び戻れるのかと不安になるけれど、
いつの間にかもう、それを当たり前とする日々に飲み込まれている。
望むと望まないとに関わらず。

仕事と言えば、今年の春からいろいろと変化があって、
自分の関わったものがより広範囲の、たくさんの人の目に触れることになり、
知った人たちが「見たよ」と、わざわざ報告してくれるばかりか、
ネット上で、或いは現実世界で、見ず知らずの数多くの人たちが
それについて楽しんだり喜んだり、或いは批判していたりしていて、
さらに私自身のことまでもが、
取材されて雑誌に載ったり新聞に載ったりもして。

そういう事象がもはや当たり前のようになってしまったけれど、
それらを「すごい」というよりは「不思議だなあ」と、
他人事のように見ている自分がいる。

これまで、目立つことを意図的に、極端なまでに避けてきた自分のような人間が
まさかこんな立場でこんな仕事をすることになるなんて、あの頃、誰が思っただろう。

だけどそうなってみて気づくのは、
どんなことが起きても、やはり自分自身は変わらないということだ。

たまたまこういう仕事に就いて、
いろんな人、例えば多くの人の憧れの対象であるような人に会ったり、
考えたことがカタチになって、それが、それなりの影響を及ぼしたりして、
端から見れば、まあまあ成功してる風に見えることもあるかもしれない。

けれど、そんなことよりも、私にとっては
家族や、ほんの身近な人たちが、私のしたことでちょっとでも喜んでくれた、
そのことだけで十分で、
それ以上でも、それ以下でもないのだ。

きっとこれから先何があっても、
こういう私のスタンスは、変わらないのだと思う。

こんな私のざわめきも、戸惑いも、
きっと届かないところにいるだろうあなたは、
今頃どこで、どんな活躍をしているのだろう?

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「ぼくは
 いや、ぼくたちはプロだ

 どちらかだけが一方的に甘い汁をすする
 関係であってはならないのだ」

羽海野チカ「3月のライオン 4」

3月のライオン 4 (ジェッツコミックス)

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夏川草介「神様のカルテ」

ちょっと気になってはいたものの、なかなか読む機会のなかったこの本を、
たまたま会社の資料室に行った時に
「今返って来たんだけど、次はこれなんかどう?」
とお勧めされたので、ようやく読むことができた。

夏目漱石を愛読するあまり、口調まで漱石の小説のようになってしまったという
信州の地方病院に勤める一風変わった内科医、栗原一止。
彼が、病院のスタッフや、カメラマンの妻、愉快な下宿の同居人たち、
そして、そこで最期の時を過ごす患者たちとの関わりの中で
医師としてのあり方を見つめ直す、穏やかな日常を描いた作品。

地域医療、終末医療、医局制度や研修医制度問題、ひいては人の命の尊厳など
壮大なテーマを内包しながらも、
あくまで主人公の等身大の目線で穏やかに語られるところにとても好感が持てた。
漱石に似せた古風な文体をユーモラスに使用していることから、
森見登美彦氏を連想する人も少なくないだろうが
描きたいその世界と中身が異なっているので、
違ったものとして受け入れられた。

物語の中で、
もうどうしても患者の命を救うことができないと医師が判断した状況で、
「なんでもできることはしてください」と無理やりな延命治療を望むのは、
その人のエゴではないかという場面がある。
本当にそうだと思いながら、
いつか自分がその場に立たされたら、本当に、
穏やかに見送ることができるだろうかと自問した。

いつか私も、あなたのいない世界へ行く。
その時が来たら、
最後まであなたのことを思い出しながら旅立てるよう、
静かにそっと、見守っていてね。

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「一に止まると書いて、正しいという意味だなんて、
 この年になるまで知りませんでした。
 でもなんだかわかるような気がします。
 人は生きていると、前へ前へという気持ちばかり急いて、
 どんどん大切なものを置き去りにしていくものでしょう。
 本当に正しいことというのは、一番初めの場所にあるのかもしれませんね」

夏川草介「神様のカルテ

神様のカルテ

神様のカルテ

泣きたくなるような、天気のいい日。君にはどんな空が、見えていますか。

引っ越してから、もう1ヶ月が経とうとしている。
2月は逃げる月、3月は去る月とは言うけれど、
時間の経つ早さというのは本当に恐ろしい。

2月末に引越しを手伝いに来た母がちょうど帰ろうかという頃、
ゲームをエサに、新しい家具の受取などのために留守番を頼んだ弟が来て、
3月半ばくらいまで滞在していたので
およそ3週間くらい、故郷以外で家族と暮らすという、
今までにない特殊な生活を送っていたことになる。

2人が帰ってしまったとたん、急に1人であることが実感されて、
さびしいというより、決定的に何かが欠けてしまったような気がして、
しばらく部屋に帰っても落ち着かなかったのだけれど、
ようやく元通りの暮らしに慣れてきた。

帰る間際に、気が向いたときには片付けをしてくれていた弟が、
「俺がいる今がこの部屋の、一番綺麗な状態なんだろうな」
とぼそっと呟いた。
今、それが現実のものとなりつつあるので、
そろそろ本腰を入れて片付けなければ。

それにしても、多少はスペースが増えたはずなのに、
それでも収まりきらない異常に多い荷物はどうしたものか。

もっと自分が偏った人間だったら、こうはならなかったのかと思う。
ジャンルに拘らず無限に増える、本、漫画、雑誌、
やる時間がなくても、つい買ってしまうゲーム、
どうして毎年同じではいけないのか、
恐ろしいペースで領地を拡げ続ける洋服たち、
新しいものが出る度欲しくなってしまう家電製品。

自分の好きなもの、大切なもの、その順位がはっきりしていたら、
こんな風にはならないのだろう。
混沌とした部屋はそのまま私自信を映しているよう。
だから、
「何が好きなの?」「本当はいったいどんな人なの?」
と、誰もが聞くけれど、
「すみません、私にもよく分からないんです」と言うしかないのだ。