私がいつか知っていた君の「君らしい」部分は、今はどのくらい残っているのだろう

夏の休暇は恐らく秋にずれ込みそうだということもあり、
人は多く航空券も高かったけれど、ゴールデンウィークは実家に帰って、
たった数日ながらも心ゆくまでゆっくり過ごした。
普段はなかなか逃れられない仕事のことも、極力忘れて。

いつも家に帰る度に、東京での、まるで夢のような現実感のない日常に
果たして再び戻れるのかと不安になるけれど、
いつの間にかもう、それを当たり前とする日々に飲み込まれている。
望むと望まないとに関わらず。

仕事と言えば、今年の春からいろいろと変化があって、
自分の関わったものがより広範囲の、たくさんの人の目に触れることになり、
知った人たちが「見たよ」と、わざわざ報告してくれるばかりか、
ネット上で、或いは現実世界で、見ず知らずの数多くの人たちが
それについて楽しんだり喜んだり、或いは批判していたりしていて、
さらに私自身のことまでもが、
取材されて雑誌に載ったり新聞に載ったりもして。

そういう事象がもはや当たり前のようになってしまったけれど、
それらを「すごい」というよりは「不思議だなあ」と、
他人事のように見ている自分がいる。

これまで、目立つことを意図的に、極端なまでに避けてきた自分のような人間が
まさかこんな立場でこんな仕事をすることになるなんて、あの頃、誰が思っただろう。

だけどそうなってみて気づくのは、
どんなことが起きても、やはり自分自身は変わらないということだ。

たまたまこういう仕事に就いて、
いろんな人、例えば多くの人の憧れの対象であるような人に会ったり、
考えたことがカタチになって、それが、それなりの影響を及ぼしたりして、
端から見れば、まあまあ成功してる風に見えることもあるかもしれない。

けれど、そんなことよりも、私にとっては
家族や、ほんの身近な人たちが、私のしたことでちょっとでも喜んでくれた、
そのことだけで十分で、
それ以上でも、それ以下でもないのだ。

きっとこれから先何があっても、
こういう私のスタンスは、変わらないのだと思う。

こんな私のざわめきも、戸惑いも、
きっと届かないところにいるだろうあなたは、
今頃どこで、どんな活躍をしているのだろう?

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「ぼくは
 いや、ぼくたちはプロだ

 どちらかだけが一方的に甘い汁をすする
 関係であってはならないのだ」

羽海野チカ「3月のライオン 4」

3月のライオン 4 (ジェッツコミックス)

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