髪結いの亭主/Dir パトリス・ルコント

かつて12歳の少年だったアントワーヌは、母親も呆れるほど頻繁に理容室に通いつめていた。それはグラマラスな理容師、シェーファー婦人に会いたいからだ。ふくよかで官能的な婦人の虜になった彼は、家族の前で「女の床屋と結婚する」と宣言し、父親に平手打ちをくらう。やがて中年男性になったアントワーヌは、ある時偶然入った理容室で、運命の女性マチルドと出会い、結ばれる。来る日も来る日も飽きることなく、働くマチルドを見つめるアントワーヌ。2人の幸せな結婚生活の行き着く先とは――。
 

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1991年、パトリス・ルコントの作品としては初めて日本で公開され、それからの20周年を記念し、デジタル・リマスター版が映画館で上映された。最初に観た時は当然ビデオで、中学生くらいだったと思うのだが、同監督の「仕立て屋の恋」と共にとても印象深い作品だったので、せっかくなら劇場でと思い、期待と不安を抱きつつ観に行った。昔好きだった映画を再び観るときはいつも、どこか不安がつきまとう。今の自分が、昔それに心を動かされた自分とは、全く違う存在になってしまったことを知るのが恐いのかもしれない。果たして今回はどうだったかというと、初めて観た時の鮮烈な印象はなかったものの、さらに美しさを増した世界を余裕を持って堪能することができてよかったと思う。
 
「仕立て屋」もそうだがこの映画も、万人受けするようなものではないだろう。濃厚過ぎるほどのフェティシズムであるとか、何の取り柄もない中年のおじさんが美女に愛されるという妄想じみた設定に、ついていけない人もいるかもしれない。けれど、どこか偏執的であったり、歪であったりするほど、かえって純粋さを感じることもある。きれいに整えられたラブストーリーなんかより、ずっと。普通に人が人を愛するということがありえないほど難しいと思える人間の、あるセンシティブな部分を、この種の作品はぐいぐいと刺激するのだ。
 
この映画の序盤に、とても印象的で泣きそうになったシーンがある。
 
日の当たる窓辺で、赤いワンピースを着て雑誌を読むマチルドをただじっと、少し離れた位置にあるソファから見つめるアントワーヌ。
やがて彼女は、視線に気づいて顔を上げると優しく微笑み、窓の外を見て
「夕立が来そう」
と呟くのだ。アントワーヌは、
「そうだね」
と静かに答える。
 
たったそれだけのシーンなのだが、2人だけの閉ざされた世界の幸せが、あまりに美しく表現されていて、悲しいところなど何もないのだが泣いてしまいそうだったのは、このスクリーンの向こう側の世界に、決して自分は入れないということが、無性に悲しかったからなのかもしれない。実はこのシーンは、衝撃のクライマックスに至る直前のシーンと、見事に対をなしていることが、後で分かるのだが。
 
真珠の耳飾りの少女』で絵画がそのまま動き出したような世界をスクリーンに描いた、撮影監督エドゥアルド・セラによる映像と、『ピアノレッスン』の『楽しみを希う心』他、多数の映画に、繊細で印象的な楽曲を提供しているマイケル・ナイマンによる音楽が、この映画をさらに美しいものにしている。そして、江戸時代から、妻の働きで養われる夫のことを指して用いられたという「髪結いの亭主」という邦題も、まるでこの映画のためにあった言葉のようだ。
 
アントワーヌを愛するがゆえに、マチルドがとったあの行動は
完璧なまでに幸福な一瞬を、永遠にするための、
唯一の方法だったのだろう。
 

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「息が止まるほど
 長いキスを送るわ
 愛していたの
 あなただけを
 永遠に忘れないで」

髪結いの亭主 デジタル・リマスター版 [DVD]

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