あの頃君が来たいと言ってた、君のいない街に今、住んでいる。

おおよそ1年と10か月。
ようやく住み慣れてきたこの街、この部屋とも、
ついに今週でお別れをします。

「福岡から来て最初に住むのがどうしてそこなの?」とか、
東京に以前から住んでる人たちにも
「えーっと、それってどこだっけ?」と言われるような、
どちらかというとマイナーなところだったけれど、
会社まで乗り換えなし、DOOR TO DOORでもおよそ30分と、
怠け者の私にとっては、この上なくいい環境だった。

一番最初は、ほとんど身一つでやって来て、
狭いのにがらんとしていたこの部屋にも、
いつしか入りきらんばかりに物が溢れて。
ここに住み始めてからのおよそ2年は、
瞬きをする間に過ぎてしまったような気さえするけれど、
それらの全てがきっと、私がここで、確かに生活してきた軌跡。

別れの道を選んだのは、決して、嫌いになったからじゃない。

自転車で走る墨田川沿いのまっすぐな道。
東京なのに東京でないような、下町然とした町並み。
家を出る時、いつも「行ってらっしゃい」と見送ってくれる、
マンションの掃除のおばさん。
駅の駐輪場係のおじさんと交わす一言二言の会話。
駅員さんとのささやかな挨拶。
いつも空いている大江戸線の、柔らかなソファ。
改札のあたりでたまに会って、
私が鞄から定期を探し当てるまで待っててくれる先輩。
帰り道に遭遇すると、買い物に付き合ってくれる友達。
まだ家にテレビすら届いてない時、家に呼んでくれた同期。

そして何より、どんなに辛くて寂しいひとりの時も、
何も言わず温かく包み込み、涙さえ吸収してくれる、私のベッド。

そういうもののすべてを、
私は心から、とてもとても愛していたと思う。
失ってしまうのは、とても切なく、心許ない。

けれど、またその先で、
きっと、新しい出会いと生活と、
幸せが待っているのだろう。
それらの全てを、愛することもできるだろう。

引越しに不慣れな私のために、
わざわざ母が手伝いに来てくれまた。
きょう会社から遅くに帰ったら、
母と叔母がせっせと片付けてくれていて、
そのうち別の伯母が差し入れまで持ってきてくれて、
いつも一人で静か過ぎる部屋が、嘘みたいに賑やかで。

誰かが私を待っててくれるって、
なんて、温かくて、幸せなことなんだろうって
しみじみと思った。

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「ああ、過去というのは、
 ただそれが過去であるというだけで、
 どうしてこんなにも遥かなのだろう」

磯崎憲一郎「終の住処」

終の住処

終の住処